あなたが息苦しさを感じる原因はこれかもしれない・・・

あなたは息苦しさを感じることはありますか?

たまに感じるという人、常に感じている人、それぞれだと思います。

今日は、なぜ私たちが息苦しさを感じるのか?

息苦しさについて、日本人特有の原因について探っていきます。

イギリスの学校では季節の良い6月か7月に運動会が開催されます。

運動会の種目はよく言えばとてもシンプル、悪く言うとレベルがとても低いです。

もう慣れましたが、初めは驚きました。

娘の学校の場合は、基本的には走る、ジャンプする、投げるを繰り返してやるのみ。

学年合同のダンスなんてもちろんありません。

日本の運動会のバラエティーに富んだ競技に比べると、しらけてしまうほど。

そこで改めて思ったのが、日本の運動会では例えば玉入れ、大玉転がし、リレーなどの競技に使われる道具が素晴らしいということ。

そして、それを毎年使うために保管している体育館もすごい施設なんだということ。

日本にいると当たり前のことと思っていたことが、海外に暮らすことで、いかに当たり前ではないのかを知ることができました。

そして、それ以上にすごいのは生徒をまとめて高レベルな運動会を準備する先生方です。

運動会の前日なんて心配で眠れやしないのではないかと思いますがいかがなのでしょう?

また、その先生の指導にきちんと従い素晴らしい競技、演技をする子供たちです。

もう10年近く前になりますが、日本を特集しているイギリス番組がありました。

日本を特集する番組は基本的に日本に好意的なものが多く、この番組もそのひとつでした。

イギリス人の女性タレントが日本を訪れている様子が数回にわたって放送されている内容で、たしか銀座のコアビルにあるサロンで最新の美容法エステの施術を受けたりしていました。

日本の中学校を訪問する回では、イギリスからのゲストを迎えるために生徒たちが「ネバーエンディングストーリー」の歌を必死に覚えて、彼女の前で上手に合唱するシーンがありました。

生徒たちの歓迎にとても感動している一方で、彼女は生徒たち全員がきとんと揃えて歌っていることに衝撃を受けていたのを覚えています。

その頃の私はイギリスに住み始めたばかりで子供もなく、イギリスの教育システムや学校の様子がわからず、彼女がなぜそんなに驚いているのかわかりませんでした。

でも、自分に子供ができ学校に通い始めるようになって、ようやく彼女がとても驚いていたことに納得したのです。

イギリスの学校で、直立不動で生徒たちが全員揃って歌を歌うなんてことありえないからです。

特に例にあげた低学年の運動会や学芸会は、日本のレベルとは比較になりません。

それほど日本はレベルが高いのです。

そして、こういう日本の学校教育によって日本人は自然と集団志向が強くなっていくのだなと思います。

それは先祖代々受け継がれてきた日本の国民性でもあり、日本人にとっては当たり前の教育法ですが、ひとつのことを一緒に作り上げるという機会が日本の教育にはとても多いのです。


娘の学校の友だちのお母さんからは「日本人は自己管理ができる人たち」と言われたことがあります。

日本人の自分をとても誇りに思った瞬間でした。

それは協調性が高く、他人には迷惑をかけないように行動する私たち日本人。

人前で感情的になったりすることもあまりない日本人。

そういう日本人が外国人に与える印象なのだと思います。

海外に住んでいる私は、日本人の代表なんだから日本の恥にならないようにしなければと自然に考えているところがあります。

これも集団主義のなせる業だと思うのです。

集団主義は所属意識にもつながります。

サラリーマンはひとつの会社に所属し、自分の会社に不祥事があった場合には社員全員が責任を感じる。

イギリスのサラリーマンには自分の会社に忠誠心をもつという概念がありません。

日本のサービスが良いのも、お客様のクレームの原因が別にあったとしても、そこは店を代表して誠心誠意クレームに対応するからでしょう。

世界に誇る日本の美徳は、こうした日本の集団主義が大きく影響しているのです。

でも、この集団主義が時として日本人を追いつめてしまっていることもあると思います。

日本に暮らしていて何か息苦しいと感じている人がいるとしたら、それはこの集団主義が原因なのかもしれません。

ひきこもりになるのも、おそらく自分たちは世間一般で言われている普通ではないとか、世間一般で言われている幸せな人生のレールから一度外れてしまった経験があるからなのではないかと私は考えています。

多分、そういう苦しみをもっている人たちは大半の日本人のように集団志向ではなく、どちらかというと個人志向がしっくりくる人たちなのかもしれません。

この世に「普通」なんてありません。

人の数だけ、その人の脳の変換キーで作り出された「普通」が存在するのです。

それでも、やっぱり「日本人として普通」とされているものがあります。

もし、そのせいで苦しんでいるのであれば、そんな必要は全くないと気づいて欲しい。
海の向こうでは、「日本の普通」は全く普通ではないのだから。

Momomimo

心理カウンセラー/NLPプラクティショナー ミッソン慶子


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